安心社会から信頼社会へ

ここ数年間で「心理的安全性」という言葉をよく目にするようになった。

心理的安全性とは、他人の反応に怖がったり、恥ずかしいと感じたりすることなく、自然体の自分を隠さずすべてオープンにできるような穏やかな雰囲気のある環境のこと

https://www.kaonavi.jp/dictionary/psychological-safety/

つまり、多くの日本人が経験してきたであろう「自分だけだったらどうしよう」や「悪目立ちしたくない」や「ばかと思われるかも」という不安を感じない状態のことである。

この心理的安全性を高めることで、その場に属する人がパフォーマンスを発揮しやすく、面白いアイデアをつなぎ合わせることで集団としてもすぐれたイノベーションが生み出せるなど、様々なメリットがあるようだ。

そこで、心理的安全性を高めたいということになるのだが、これが日本人には難しいように思う。

先にも述べたが、特に我々日本人は目立ちたくないのである。

人と同じことで安心する、逆に言うと人と違うと仲間外れにされるのではないかと不安になってしまう。

このあたりの日本人の性格を見事に記述しているのが、本エントリーのタイトルにしている『安心社会から信頼社会へ』である。

1999年に執筆された古い書籍であるが、まさに今の時代にぴったりな書籍である。

我々日本人は、他人のことを信頼していないのだそうな。だが社会生活は自分だけで成り立たず、他人と仕事を分担しなければいけない。

そこで、固く絆を結んだ安心できる集団を形成し、その中で暮らしてきたということ。そもそも赤の他人を信頼するのはコストが高いので、そのコストを安心集団形成によって下げている。この集団の中で、万が一、裏切り行為が発覚した場合は厳しい罰則が待っている。

これがいわゆる「村八分」というやつである。

つまり、信頼関係で結びついているというよりも、罰則による恐怖政治といった方が近いかもしれない。

しかし、今はVUCAの時代。雇用も流動的になり、昨日までは敵として戦っていた相手が今日の友になりえる時代。

この旧型の日本社会のままでは、おそらく世界のスピードについていけない。

心理的安全性を考えるとき、いかにして他人を信頼するかという問題を真っ先に解決しなければいけない。

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